松原5・6丁目のご案内

 松原地区は、松原1~6丁目からなり、世田谷区の北側に位置しています。松原5・6丁目自治会の区域は松原5丁目・6丁目及び赤堤2丁目・羽根木1丁目・2丁目の一部が含まれます。(詳細は自治会規約に記載)

 東に代田・羽根木、南に梅ヶ丘・豪徳寺、西に赤堤と接しています。地形的には南辺に北沢川(暗渠になっている)が流れていますが、全体的には台地状の土地が広がっています。そのため何ヶ所かの坂道があります。

 最寄り駅は京王井の頭線(1933年開業)東松原駅、小田急線(1927年開業)梅ヶ丘駅があり、駅周辺はにぎやかな商店街ですが、一歩奥に入ると閑静な住宅地となっています。

 

松原5・6丁目自治会の区域は5,085世帯、8,952人の町です。(2020年3月1日現在) 

地域内の教育機関は区立松原小学校、梅丘中学校、都立光明学園があります。公共施設として北沢警察署、北沢税務署、世田谷消防署松原出張所、梅丘分庁舎(旧北沢保健福祉センター)、更に世田谷区の保健・医療福祉の連携拠点として「うめとぴあ」があります。2019年4月には民間施設の「東京リハビリテーション世田谷」が開設され、2020年4月には区複合棟の「世田谷区保健医療福祉総合プラザ」が開設されました。また同時に区立の「世田谷区児童相談所」が開設されました。この児童相談所は旧区立総合福祉センターが改修されたもので、23区内では江戸川区とともに初となるものです。

この「うめとぴあ」は「都立梅ヶ丘病院」があったところですが、1926年(大正15年)、歌人で精神科医だった斎藤茂吉が院長を務めた青山脳病院を港区青山から移転して開院したという歴史があります。

また隣接して「羽根木公園」があります。羽根木公園で開催される「せたがや梅まつり」は1978年(昭和53年)にスタートして毎年開催、回を重ねて世田谷の伝統行事となっています。

松原の名前の由来と歴史

松原の名前の由来は江戸時代の元禄期にさかのぼります。元禄9年(1696年)に作成された徳川幕府の土地台帳である「元禄郷帳」に「一高三百弐拾七石七斗八升七合 松原村」との記録があります。それまでは赤堤村だったのですが、「松原宿」に土着した松原佐渡守の三兄弟が在郷商人の協力を得て赤堤村内の雑木林だった土地を開墾し、「松原村」として独立したと言われています。

「松原宿」(のちの字松原宿)というのは現在の豪徳寺にあった世田谷城の城主だった吉良氏の家臣・松原佐渡守が古道・瀧坂道沿いに世田谷村内に作られていた宿場(現在の豪徳寺1丁目、梅丘1丁目・2丁目)を本拠として土着したことから名付けられたようです。

なお松原の史跡を示すものとして、松原6丁目20番地に「古墳 半田塚」と記された墳墓が建っています。世田谷区教育委員会の説明板には、文政9年(1828年)に書かれた地誌「新編武蔵国風土記稿」の松原村の項に、昔この付近が小名(「こな」と読み小字と同義)すなわち半田と呼ばれたのはこの地に半田塚があった故であり、誰の墳墓かは来由が伝わっていないので詳しいことはわからない、と記されています。また大正年間には地元の人達から「大塚さま」と呼ばれていたと記述されており、かなり大きい墳墓だったようです。

[※ 世田谷区のHPから、「松原地区の紹介」の中の「地名の起源・地区の沿革」を参考にまとめたものです]



松原5・6丁目の見どころ・学校・公共機関など